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2023.3.20

Dialogue with Teppei Ono 小野 哲平との対話

Dialogue with Teppei Ono

Dialogue with Teppei Ono
小野 哲平との対話

  • text:Yoshitaka Haba(BACH)
  • photographer:Shingo Wakagi

Open your Mind

高知の山間部、谷相で作陶を続ける小野哲平の作品は使うほど味わいの増す不思議な魅力にみちた道具です。
無骨で頼り甲斐があるのに、繊細な匂いもする器。
そこには、彼が器づくりに捧げてきた時間が堆積しています。
小野哲平にとって、器づくりが闘いだった季節もありました。
けれど、いま彼がつくる器は使い手を包み込むような懐の深さをもち、誰に対してもひらいている器です。
この展覧会は、あなたが器と新しい関係を築くチャンスになるでしょう。
私たちの毎日に、そっと寄り添ってくれる器はたしかに実在したのです。

幅允孝

哲平さんとの対話 高知・谷相 小野哲平窯にて 2015年7月10日

《4枚の絵》

幅:折角工房でお話することになったので、まずはここに飾ってある4枚の絵についてお話を聞かせてください。タイのアーティスト、ワサン・シティケートの絵ですよね。哲平さんは海外で彼と出会って、その激しいメッセージ性に惹かれたとどこかで読んだのですが、それがいまだにここに飾ってあるのは、哲平さんにとってこの絵がどういう存在だからでしょう?
小野:表現方法はその絵の彼と、今の僕とは違うんだけれど、やっぱり行こうとしている所というか、目的は今も変わらない。僕自身もこの頃はとても激しく、攻撃的で尖った方法での表現にすごく惹かれていたんだけれど。
幅:当時は「持ち手を持ったら鋭くて危ない器」でしたね。
小野:今の気持ちも、10代の頃にこういう仕事を選ぼうとした時の気持ちも、その理由というか目的は変わっていなくて。振り返ると、方法を少しずつ変えてきたというか、変わってきたという感じなのかな。この絵の彼とは、方法が違うだけかな。
幅:初期衝動の象徴でもあるんですね。

《手と作為》

先ほど見せていただいたろくろの作業は、土を手でトントンと叩くところから始まりました。哲平さんの生み出す器と手は切り離せない関係だと思いますが、自身の手を哲平さんはどう思っていますか?
小野:「いい手だな」と思っていますよ。「いい手になってきた」というか。
幅:変化するものなんですか。
小野:もっと華奢というか、繊細な感じの手だったと思います。やっぱり土を練ったり、ああいう仕事をしていると、この辺にボリュームが出てきて。(親指の付け根あたりを指す)

Dialogue with Teppei Ono

幅:手も使えば使うほど、色々な意味で進化する?
小野:顔みたいになってくるんじゃないの。
幅:表情が出る感じ?
小野:だと思うよ。
幅:先ほど哲平さんが昼食の餃子を揚げている(美味!)手つきに、ろくろを回すそれと同じようなものを感じたんです。日々の土を触る作業以外、日常生活全体の中で手というものに対する意識の持ち方は変わってきているんですか?
小野:自分では意識はしていないですけれど。でもさっき言ったように、手もつくられていくものだと思います。
幅:哲平さんの作品は手で生み出すというか、自分の体から出てきたものとして器をつくっていると思うのですが、手の在り方が変わってくると、作品も変わってくるのかも知れませんね。
小野:手だけじゃないんだけれど、最近は敢えてそこにとっても強い気持ちを置かないようにしているんだよね。若い時は「つくろうつくろう」としていたり、美しいものを追いかけようとしてきたんだけれど、追いかけたりつくろうとしても来ないんだよね。ということが最近わかってきたので、敢えて強い意識をそこに留めないようにしています。それで良いと思ってるし。でも、手と体はそこで仕事をして、眼は確認しているみたいな。そういう作業が最近できてきたというか。
幅:器をつくるという行為が、若い頃に比べて無意識的なものになってきているということですか?
小野:昔の職人ではないので、絶対に意識なくしてはつくれないわけです。自分の表現として、自分の作品の展覧会をしているので。でも、作為が強くて面白いものもあるんだけれど、今の僕はそこではないのかなという風に思います。じゃあどういう自分をつくってそこに 近づければいいかなと。わざとそういう感情をつくるというか。
幅:「何でもないもの」という言い方になるんですか?
小野:最近は「何でもないもの」という言い方はあまりしないんだけれど。
幅:最近の哲平さんにとって、最も似つかわしい言葉に置き換えると何になるんでしょうか?
小野:「つくろう、つくろうとしていないもの」というか、追っかけていないもの。作為が前に前に出ていないもの。

《ネジが1本足りない》

幅:一方で、受け取り手についても聞かせてください。哲平さんの器を、いろいろな方がそれぞれの手の中で使っていると思います。その人の使い心地みたいなところが哲平さんにとって一番重要になってきて、作家としての自意識よりも大切になってきたということはあるんですか?
小野:自分の中では手の平の中に入れた時に何かひとつ、2本じゃダメなんだけれど1本ネジが足りないような器であってほしいとは思いますね。
幅:1本だけ足りない。
小野:そう。足りなすぎてはいけないのだけれど、1本ネジが足りなくて、一歩引いたようなものかなと最近は思う。
幅:完璧過ぎない。未完成というわけでもないんですよね。

Dialogue with Teppei Ono

小野:僕の中ではフィニッシュなんだよ。
幅:フィニッシュしているのに、まだ完成していない。哲平さんの完成ポイントが少しずつ変わり、終わる場所が変化してきているということなんですかね。
小野:ちょっと違うかも知れないけれど、若いころはとっても自分を興奮させて、高めて、すごくちっちゃい穴から爆発的に感情を…
幅:ドーンと。
小野:そう。そういうことなのかなと思っていたんですが。
幅:穴がちっちゃいと力も強いですもんね。
小野:感情のつくり方、出し方が、ある時点からそういう方向ではないなと思えてきて、今の考え方に至ってるのかなと思う。
幅:ネジが1本はずれている器というのは、言い換えると僕みたいな素人の使い手が哲平さんの器を手にしたとき、「こうしなければならない」というよりも、少し自由には使えるのかなという気がしました。
小野:うん、受け取り手の気持ちの中にそういう感じが起きて欲しい。「ネジが」という風ではなくて、「足りない」という言い方でもなかったかも知れないけれど、そういうことを言われたことが若い時にあって。僕はそれがとっても嬉しい反応だったんです。

Dialogue with Teppei Ono

幅:使い手の方にある程度余白が残されているということですよね。哲平さんの器を使っているとき、僕個人が感じるのは懐の大きさと言うんですかね。何でも盛り付けてしまえるし、何を飲んでも構わない。その辺の自由さみたいなところを感じているのと、あともうひとつ、通でなくても良いというか。閉じているか開いているかと言ったら、明らかに開いている器。それがひょっとしたら、他のいろいろな方のいろいろな時代の器と比べても、圧倒的に違うんじゃないかと思います。難しく考え、研ぎすまそうと思えばどんどんいける世界なのに。一方、哲平さんの土の器は開いているのに、ある意味の強度というか、ひとつの規律を保っている。一見すると矛盾に見えるような部分を、うまく両輪が走っている不思議さを感じてしまうんですけれど、何か自分で意識されていることはあるんですか?
小野:今言われたのは、僕にも分かりやすいです。でも、そういうことのために自分がつくる時にどうしているのかというのは… 自分自身がそうなりたいというか、世界がそういう風になって欲しいという気持ちが僕の中にあるか、ないかじゃないですか。絶対に開いていなければいけないと思う。若いころはすごく閉じたものに惹かれるようなことはあったんですけれど。今、生きていて、開いている感じがあるべきだと思う。人間の体から出すものにはね。

《ドアを開ける》

幅:僕は本の仕事をやっているのですが、始めた当初は本好きや本の文脈を知っている方を対象として考えていました。その方が楽ですし、伝えやすい。でも、そうしていると、どんどん仕事の領域が小さくなっていく気がしました。「ここ5年、本なんて開いていないよ」なんていう容赦のない視線に晒された場所で、自分にどういう仕事ができるのかと最近は考えています。話が通じにくい相手と結び目をつくるということを哲平さんはどのように考えられていますか?

Dialogue with Teppei Ono

小野:やっぱり開いていないドアをどんどん開けていかないと変化は起こらないと思うし、そこは強い気持ちで扉をどんどん開けていかないと何も変わっていかないかな。僕の器を受け入れてくれて、全く違う価値観を持っているという方もいる。そういう時にやっぱりどこかで僕の感情と繋がるところが、ある瞬間には起こっているんだろうなということを時々実感する。そこはやっぱりいかないと。いかなくていいという風には決して思わない。
幅:僕は、対話によって他人と自分との結節点を探すようにしています。哲平さんにとって器は、見てもらうことではなく、触ってもらうことが他者と自分との結び目になっているんでしょうか?
小野:見ることも触ることも両方大事だと思うし、触ってもらうと余計伝わるかなという感じは自分の中にもある。あと、最近知り合いの方にメールをもらって。子供が俺の器ばっかりを選ぶとか、(器にまったく興味がない)旦那が俺の器ばっかり選ぶとか。そういう話を聞くと僕はとっても嬉しいです。

Dialogue with Teppei Ono

《都会の欠落を埋める》

幅:今回は、東京にあるCIBONEというライフスタイルショップのエキシビションです。なぜここで展覧会をやろうと思ったのかを教えて下さい。
小野:こういうところ(高知・谷相)で生活し、仕事をしているんですけれど、僕は都市の中で失った部分というか、欠けているところを埋めていくのが自分の仕事だと思っているので。それは人間の感情の失っているピースを入れていくみたいなことだと思う。田舎にはあるんですね、僕がつくっているような感情のものは。都市はそれを捨ててきているようなものだと思うので、そこに返すというか、ピースを入れるというか。そういう仕事だと思います。なので、都市のああいう場所でやる意味があると僕は思っています。
幅:そこに欠落しているものを埋め合わせるというか。
小野:そうなの。欠落しているものを埋め合わせる仕事なんです。
幅:使い手にとって、ということですか。
小野:いや、人間にとって。だから器というのはそんなに大事なことじゃなくて。その人の生活や感情に入りやすいということはあるけれど、その欠落に対峙するのが僕の仕事ということなのかなと。自分の体から出してきたものを器にしてみると、そういうことなのかなと思います。 幅:一方、街場でそういうエキシビションをやることで、哲平さんの欠落が埋め合わされたりすることはあるんですか?
小野:僕の欠落?
幅:分かりません、もし欠落があったとしたら。
小野:何だろう、興奮かな。緊張と興奮、いや興奮かな。
幅:緊張よりは興奮。血が騒ぐ感じがあるんですか。
小野:うーん、でも、ないね。若いころはものにとっても興味があったし、ものを所有したかったけれど、今はそういうことはあまり強くなくなって。でも、東京に行くと面白い人間はいる感じがするね。

Dialogue with Teppei Ono
小野哲平
1958年愛媛県生まれ。鯉江良二氏の弟子を経て常滑にて独立。1984年よりタイ・ラオス・インドなどアジアの国々を旅する。1998年高知に移住。棚田が美しい高知の山あいに住み、めし碗、皿、鉢、湯のみ、日々の暮らしのなかで使われる土のうつわをつくる。薪窯で焼成する力強い作品は、使われて美しく育つ「うつわ」の原点を忘れないやきものであると同時に、現代に生きる人々に問いかける強烈なメッセージでもある。 2010年現代美術家の村上隆氏のカイカイキキギャラリーにて個展開催、以後、国内外、特に中国、台湾では熱狂的な支持を集める。2022年CIBONE Brooklynのオープニング個展開催。コロナ禍においても力強い存在を示している。
www.une-une.com
幅 允孝
1976年愛知県生まれ。BACH(バッハ)代表。ブックディレクター。未知なる本を手にしてもらう機会をつくるため、本屋と異業種を結びつけたり、病院や企業ライブラリーの制作。代表的な場所として、国立新美術館『SOUVENIR FROMTOKYO』や『CIBONE』など。その活動範囲は本の居場所と共に多岐にわたり、編集、執筆も手掛けている。著書に『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』、『幅書店の88冊』、『つかう本』、『本の声を聴け ブックディレクター幅允孝の仕事』(著・高瀬毅/文藝春秋)。愛知県立芸術大学非常勤講師。
www.bach-inc.com

2015年にCIBONE Aoyamaにて開催された「OPENNESS 器はひらかれている TEPPEI ONO」
8年前の当時に行った小野哲平へのインタビュー。
作品についてやCIBONEが大切にしてきている「NEW ANTIQUES,NEW CLASSICS」の言葉についてインタビューしています。

> PRESS お問い合わせ (株式会社ウェルカム CIBONE広報担当)